「黄昏の岸 暁の天」
「魔性の子」と同時期の十二国での様子の話。
今までよりも十二国の世界自体に踏み込んだ話だったと思います。
Amasonのレビューで書いている人がいましたが、ファンタジーの世界を超えた感じ。
この世界では神は信じる人の心の中にしか存在しませんが、十二国の世界では確実に存在していて
更に全知ではあっても全能ではなく、関与するのに救いにはならないという不条理な存在です。
不条理な事を前提として、その中で人は道義的に生きていかなければならない。
十二国もこの世界も同じですね(笑)
この世界では不条理も矛盾も受け入れる事以外に出来る事はないわけですが
十二国の中ではどうなんでしょうね。
たった一冊の本の中によくこれだけ詰め込めたなーと思うくらい色んな事が詰め込まれた本ですね。
小野不由美さんて凄い人です。こんな凄い本を過去読んだ事ない気がします。
最初は人の器という事について考えさせられました。
不遜な書き方になるかもしれませんが、人にはレベルの差があると思うんです。
レベルがあまりにも違うと会話が成立しない。
見えている物、理解出来る事、それらが全然違う。
1を聞いて10を知る人間も、10を聞いても5しか理解出来ない人間も確実に存在するわけです。
そういうのも器の違いっていうのかなー、と。
ま、色々思う事がありましたが割愛。実際に本を読んだ人が何を考えたかが重要なんでしょう。
最初に書いたように不条理な世の中についても考えさせられるし、
思い遣りが徒になるという事も考えさせられます。
今回私が自己解釈して救われた部分もありました。
「報われれば道を守る事が出来るが、報われなければそれが出来ない。そんな人間は信頼に値しない」
道というのは道義の事ですね。
私はとあることで「私が非情にならずに対応していれば結果は違ったのではないか?
相手はあそこまで私に貶められる必要はなかったのではないか?
私のせいで相手は醜さの極みを私に見せつける結果になったのではないか?」
そう思って罪悪感めいたものを抱いていたわけですが、それが払拭されました。
私がどんな対応をしようとも、相手の行動は相手の為人の問題なんですね。
私は非情ではあったけれど、卑怯ではなかったと思っているので
私はやっと私を許す事が出来ました。結構しんどかったんだよ(苦笑)
自分のした事は報われないし、暴言投げつけられるし、
相手は最終的には醜い自分に蓋をして勝手に納得してるし。
自分を美化して生きていける人間の怖さを見たよ(苦笑)
なのに残ったのは自分の中の罪悪感だけなんて救いようがない。
今回救ってもらってホントよかった。