以前masatsu氏が「話し言葉でメールを書くのはどうかと思う」と言っていた。
どういう経緯でこんな話になったのか覚えてないが、多分社内の公文書ではなく
内輪の連絡事項を話し言葉で書く人がいる…みたいな話だったと思う。
masatsu氏は、普段の話し言葉からして比較的丁寧だから文章見てもあんまり違和感がない。
(違和感あるのは顔文字だけw)
携帯メールで「今から帰ります」は全然不自然じゃなく、きっと電話で喋っても同じ。
でも私はmasatsu氏には「何時頃帰ってきますか?」とメールするけど、
Naoki氏やItsumi嬢には「何時頃帰ってくるん?」とメールする。
直接喋ったならmasatsu氏に対してでも「何時頃帰ってくるん?」になる。
どっちのメールが不自然なのかは自分でも謎。相手に合わせているだけ。
読んでるmasatsu氏の方が違和感ないんですかね?(笑)
不自然と言えばこうしてネットで書いてる文章は不自然かなー?という気がした。
話し言葉ではないけど、ちゃんとした文章でもない。
うまく表現出来ませんけどね^^;
私は自分が「ですます調」「だである調」すら統一してないそのときの気分でテキトー、
統一どころか一つの文章で混在してるアヤシイ文書いてるなーと思ってます。
そういうあやしさは措いておいて。
(だいたい私は話し言葉でも気分によって一人称が私だったりウチだったりヘンなのでw)
確か話し言葉で書かれた文体は口語体って言うんだったよなーと思って辞書を見た。
やっぱりそういう意味の事が書いてある。
あ。でも口語文法とかいうのもあって、普通に方言混じりで書いたら口語体とは言わないっぽい。
最初は「話し言葉=口語体」なら今書いてるみたいな話し言葉ではないがくだけた文章はどうなんだろう?
口語体と対になるのは文語体だけれど「文語体=書き言葉」なら、きっと文語体っていうのは
もっと堅苦しい文章なんだろうなー、じゃあこの中途半端な書き方は?というのが疑問だったんだけど…。
辞書を見ただけではよく解らなかった(笑)
口語と文語は「話し言葉、書き言葉」程度で表現しちゃいけないくらい奥が深いのかもしれない。
masatsu氏の感覚で
「話し言葉で文章を書くのはNG」
↓
「話し言葉=口語の文章はNG」
↓
「じゃあ、今書いてる文章は?」
程度の疑問だったんだけど…難しいのでこれ以上考えるのは止める事にする(笑)
最近どうでもいい事ばかり考えてる気がするなー。
何か煮詰まってんのかね?
ストレス溜まってるかもしれん。
どしたの?なんか最近のSHINOさんは哲学者的(笑)
全てを「そんな感じ」で済ませようとしてるアタシには、思いもつかないようなことを考えてるねぇ。
すてき(〃▽〃)
すてき?
ヾ(≧▽≦)ノギャハハ
アナタ、単語の使い方間違ってますからっ!
正しくは「変」だと思われ。
哲学的は違うと思うけど(笑)
わりと簡単に答えが出ると思って調べ始めたら
奥が深くて答えがなかなか見つからない…
って事は多いですね ^^;
皆そんな事は解っているから考えないのに
私は解ってないから考えちゃうんじゃないでしょうか?
無知の知を知れっちゅーカンジ?(苦笑)
Posted by: SHINO : 2005年04月05日 13:45あらいゃーん。
その、深く知ろうとする心が素敵なのよぅ~(笑)
確かに自分にも、掘り下げすぎて根本からわからなくなることは多い(汗)
だから掘り下げないように生きていくことも、また大人なのだね( ̄^ ̄)イバリッ!!←違う。
でも、関西人の方って、話し言葉で入力すると、ちゃんと変換されなくないですかね?
Posted by: みょん : 2005年04月05日 15:10ATOKは関西弁変換装備ですじょ。いや、私は使っていませんが。
言文一致が普通になって、文語は絶滅しちまいました。今文語に触れる機会といえば、古い唱歌であるとかにかぎられて、私たちは過去の文章の遺産に親しむことも難しくなってしまいました。
正字正仮名遣いというハードルがあり、その向こうには文語というハードルがあります。けれど、文語というのは豊かな世界だったと思うのよ。だから、それを自在に読めない自分が悲しいのよ。
> 「ですます調」「だである調」すら統一してない
この語尾の統一というやつは、作文の採点をしなければならない連中が捏造したまったくのでっち上げですぜ。姐さん。
実際に見てみればわかることですが、「ですます」に「だである」が混ざることは多い。決して珍しいことではなく、おかしなものでもないということは、そうした文章を読んでみれば瞭然です。
文の末尾のバリエーションが多彩な文は活き活きとして、勘所を押さえた文体の変化などは文をきっちりと引き締めて効果的です。
ATOK、関西弁変換モードありますね。
でも文末が妙な漢字に変換されない程度で大して役に立たないような気がする。
私は文章を細切れで変換するクセがあるから余計かな?
学習能力の方が重要だと思う。
私は妙な顔文字入れすぎで変なところで顔文字が出てきて困る(笑)
▼ みょんちゃん
深く知ろうとして深く知る事が出来ればいいですが
中途半端に投げるくらいなら考えても考えなくても大差ない気がします(苦笑)
▼perce-neigeさん
文語は絶滅ですか?
単なる書き言葉じゃなくてやっぱりちゃんとした決まりがあるんですね。
古典みたいなもん?
語尾の統一は気にしなくて良い、というのは嬉しい事を教えて頂きました。
これだけでもウダウダと無知曝しな日記書いた甲斐がありましたw
結構気にしてたんです。統一感のない文末。
それ以前にもっと気にする事があるだろうというツッコミは却下。
> 単なる書き言葉じゃなくてやっぱりちゃんとした決まりがあるんですね。
文語は古語までとはいわないのですが、いま私らが普通に使っている口語中心の文法とは異なる、文語文法があるんです。
広辞苑の付録に日本語文法の概説があるのですが、それを見ると口語と文語は結構違うことがわかります。例えば人称代名詞。口語では「わたくし、わたし、ぼく」とあるのが、文語だと「わ、われ、おのれ」です。二人称は口語「あなた、おまえ、きみ」に対し文語「な、なれ、なんぢ、そなた、おのれ(ってややこしいな、どっちにも使うのか)」というふうに、やっぱり違うのですね。
てにおはの助詞も文語と口語で違いがあるみたいですね。そして、これが一番大きな違いなのですが、動詞の活用が違います。蹴るは口語では「ら(ろ)、り、る、る、れ、れ」のラ行五段活用ですが、文語ではカ行下一段活用で「け、け、ける、ける、けれ、けよ」とあります。
助動詞も違うみたいですね。否定の助動詞は口語では「ない」、「ぬ」、ですが、文語だと「ず」、「ざり」です。
文語で有名なものといえば、與謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」とか、島崎藤村の「椰子の実」でしょうか。青空文庫で読めるので紹介しておきます。
晶子詩篇全集
http://www.aozora.gr.jp/cards/000885/files/2557_15784.html
藤村詩抄
http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/18352_15628.html
「君死にたまふことなかれ」と「椰子の実」読んできましたよ。
書いてある事が「なんとなく」しか解りませんでした(苦笑)
文語=書き言葉 口語=話し言葉 っていうのは現代の文章には全然関係ないんですね。
…ってこういう事って学校で習う事ですよね?
文語・口語って単語を知ってたんだから実際習ってるんだろうなぁ…。
全然記憶に残ってない。人間の脳味噌って使い勝手悪いと思うわ。