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■早すぎた名機■

Apple MessagePad130 1996.8 購入

・MessagePad と PDA
MessagePad はアップルから発売された Newton テクノロジベースの PDA 製品のことである。130 は四代目の MessagePad となる。PDA(Personal Digital Assistant)とは当時のアップルの CEO であったジョン・スカリ氏が提唱した概念で、コンピュータを人々の生活の手助けとして利用すること。初めて発売された PDA 製品が MessagePad なので「PDA = 電子手帳の親戚」図式が一般化して現在でもそう思われているが、テレビや電話、冷蔵庫などより生活に密着した様々な機器にコンピュータを取り入れ、それらを便利に活用することによってより快適な生活を提供しようというのが本来の概念だ。Newton という言葉も製品を指す言葉としてよく使われるが、本来は上記のようにテクノロジを指す言葉である。小難しい事を言っても仕方がないので先へ進もう。

・携帯電脳
当時、私にとって携帯電脳(電子手帳や PDA といった電子文房具の類をここでは一括してこう呼称する)は全く必要がなかった。元々メモをとったり持ち歩いたりすく習慣そのものが無かったので携帯電脳も必要がなかったという訳だ。私の記憶容量を上回る予定やイベントが無かったというのが実情である。ザウルス等に多少の興味はあったが買おうとまでは思わなかった。ではなぜ MessagePad を買ってしまったかといえばやはり、「アップルマーク付きのマシン」だったからということになるだろう。当時の私はまだ Macintosh を所有しておらず、アップル・コンピュータのマシンは憧れの対象だった。だが あくまで欲しいのは MessagePad ではなく Macintosh だった。MessagePad は存在自体は知っていた。シャープが日本語版 MessagePad ガリレオを発売するという記事を見て「これが発売されたら面白そうだな」と思うくらいで購入するつもりは全くなかった。

・MP130 発売
1996 年 6 月、Apple MassagePad130 が発売された。NewtonOS2.0及びバックライトを装備した初の MessagePad にして、初めて日本のアップル・コンピュータが正式に取り扱った MessagePad であった。これまで輸入品しかなかった MessagePad が正式に取り扱われることになったのは関係者の間ではすごいことのようだった。過去の経緯を知らない私にはその辺の事情は分からないが、雑誌等で扱われる機会が増えたのは事実だ。私自身それを目にして購入に至った一人なのだから。Mac も持っていないのに購入した雑誌「MacFan」で MP130 が特集されていたのだった。ダークグリーンのボディに妖しく光るバックライトが何とも格好良く見えた。さらに極めつけのアップルマーク。記事を読むと Windows マシンでもパソコンと接続可能とのことだったので購入を決意。周辺機器やソフトを含めた価格は 20 万円に近かったが、かくして私は初めてのアップルマーク付きマシンを手にしたのだった。

・周辺機器?
MP130 本体のデータバックアップや新たなソフトのインストールを行うにはパソコンと接続しなければならない。当時の私のマシンは PC-9821Xf だったが前述の通り、MP130 は Mac だけでなく Win マシンとも連携できるので特に問題はない、と思いこんでいた。しかし繋がらないのだ。同じ Win でも DOS/V マシンではなく PC-98 だからマズイのだろうか?等と色々考えた末、私がとった行動は…Macintosh を買って接続できるかどうか試す、というものであった。そのときは MP130 自体に問題があるとは少しも考えてなかったようだ。パソコンショップのチラシに安売りの PowerMacintosh7500/100 が載っていたので私はそれを購入した。私は憧れの Macintosh のオーナーとなったのだ。例えそれが MP130 の周辺機器としてだったとしてもその事実には変わりない。

・交換の連続
Macintosh も調達してやっと安心、と思ったのも束の間、Macintosh でもやはり繋がらないのだ。この時点で初めて MP130 側を疑い始めた。Nifty-Serve で知り合った大阪在住の MP130 ユーザに協力をお願いして、その人が母艦にしている PowerBook Duo との接続テストをする事となった。結果やはり繋がらず、MP130 がクロとなり、販売店を通じて交換してもらうこととなった。交換でやってきた MP130 はパソコンとの接続はできたものの、各部の作りが不安定で印象がよくなかった。案の定電源周りの不具合が発生し(これは分かりやすかった)再度交換となった。まさに「トホホ」である。

・NewtonOS 万歳
携帯電脳としての MP130 の評価は難しい。まず NewtonOS、これは素晴らしい。今現在に至るもこれ以上の OS は無いと言っても過言ではない。ファイルの概念を持たず、soup と呼ばれるデータは、メモ、予定表、住所録といった標準アプレットの中でシームレスに活用することができる。さらにそれらをサポートするアシスト機能。文章では伝えにくいが NewtonOS は携帯電脳にとって理想的な OS と言えるだろう。しかしハード面は厳しい評価にならざるを得ない。残念ながら、重い、大きい、遅いと三拍子そろってしまう。筐体は確かにでかくて重い。液晶タッチパネルの大きさは手書き入力のことを考えるとあれくらいは必要かとも思うが、それでも日常持ち運ぶには厳しい大きさである。プロセッサは NewtonOS を軽快に動かすには非力で日本語化を行うとなおさらである。日本語環境はエヌフォー社の UniFEP。これがこの後も続くエヌフォー社との出会いだ。ザウルスのように日本語を手書き認識させるには別売りのソフトが必要。これもやはり認識に時間がかかった。

・その後の MP130
MP130 はその後、同じく Newton テクノロジ製品の MP2x00、eMate300、さらに pilot(現 Palm)らの誘惑に耐えながら二年強使うことになる。Newton 自体はアップルからの分社を経て、ジョブズの手によりついに開発中止となる。二年間色々なソフトで補強しつつそれなり使ったが、基本的に私はペン入力に向かないことが判明。1998 年 5 月、キーボード付き携帯電脳の PSION に猛烈に惹かれるが、そのときは Newton キーボードを購入することで回避。これを機に MP130 を今まで以上に有効に使うぞ、と決意するも同年 8 月結局 PSION Series5 を購入。約三ヶ月の平行使用期間を経て、MP130 はお役ご免となった。その後一時期 SHINO が使用していたが長続きせず放置される。私にとって思い出深い品だけに手放すのはためらわれたが、PB2400 パワーアップの資金を得るため、2001 年 3 月ヤフーオークションへ出品。新たな持ち主のところへ旅立った。

Newton 自体「早すぎた名機」の印象が強い。ソフト自体は使いやすかったがやはりハード面の弱さが惜しまれる。それでも今なお MP2x00 や MP130 を使い続けている人は結構居る。もはや復活することはおそらく無いと思うが Newton の思想を受け継いだ携帯電脳の登場を待ちこがれている人も多いのではないだろうか。個人的には PSION のギミック溢れる筐体に NewtonOS というのが理想の携帯電脳かもしれない。