「稀覯人の不思議」
何だかんだ言いながら読み続けています。水乃サトル学生シリーズ3作目。
多分作者本人の趣味に突っ走った内容(苦笑)
手塚治虫本コレクターのお話でした。
学生シリーズは20年くらい前の時代設定なので手塚治虫氏まだ御存命ですよ。
別に話には出てきませんが、コレクション対象物の作者が存命か否かでコレクターの意識や事情も変化しそうだし
この本に出てきた作品群も20年という時間だけではなく、益々稀少で高価な物になっているんだろうなぁ、と。
逆に時代のお陰で再販が許された物も有るようだしね。
# 関係ないけど本文中に説明があったにも関わらず、稀少本と稀覯本の違いが判りませんw
# あと「稀覯人」でコレクターと読ませるのは無理がある気がするんですがww
コレクターについて。
私は多分コレクターの資質は備えている。
何かにハマって、財政が許せばソレを集める気持ちは解る。
そして大抵の人間がそういう気持ちを持ち合わせていて当たり前で
それが特殊な感情とはあまり思っていなかった。
もしかしたら対象(この場合は本)に対する思い入れの違いかもしれないが
例えば全20巻の単行本の3巻から7巻までが好きだから(若しくは雑誌で読み逃したから等々)
という理由で3巻から7巻だけを所持出来るmasatsu氏が信じられない (>_<)
コレは有りなんですか?
一般的なんですか?
私は20巻物なら20巻全部揃わなきゃキモチワルイです。
1巻だけでも欠けるくらいなら全部要りません。
シリーズ物も途中で買うのを止めてしまった本がいくつかありますが
実は全部処分したいくらいキモチワルイです。
面倒臭いから処分してないだけで
私の中では既に蔵書外の存在になっているのです(苦笑)
こういう感情が特殊でコレクター寄りの感情なのか一般的なのか、
多分私の周囲にはコレクター寄りの人間が多いと思うので
一般的な答えは判らないとは思いますが…。
20巻物の3巻から7巻だけ所持とか出来ます?(苦笑)
これがもし一般的な事であれば、
コレクターの感情を重視した作品は動機も何も理解しがたい作品になってしまうなーと思ったりしました。
たぶんわたしはコレクターではないと思うんだ。
1巻から買っていて14巻くらいで買い忘れて、まぁいいやと思ったコミックもあるし。
揃っていても、もう読まないからとか置き場所が無いからと捨ててしまったり、上げてしまったり。
例にある、ソコだけ読んでなくて、ソコだけ買ってっていうもの出来ると思う。
そんなケースはいままで無かったけど。
本に関していえば、1度読んだもので、あそこがまた読みたいと探すってことは、まず無いといってもいいくらいなので、読んだら処分してもいいんだけど、さすがにそこまではしないという感じかなぁ。
図録みたいなのはまた別で読み返しますが、今まで小説などでは何百冊に一冊くらいの確率で読み直したかも、くらいかしら。
かといって、手放せないものもたくさんあります。
今現在ものすごくファンな人の写真やポストカードも、ロクに買ったことないしなぁ。
でも、揃ってないのがキモチワルイって人もいるとは思いますよ。
コレクションってそういうものなんだろうと思うので。
続き物の途中だけ所持は一般的にはアリなんですねー。
やっぱり私がコレクター気質なんだな。
子供の食玩でも"不可能だから我慢してる"だけで
シリーズ全部揃ってないのが凄く気になるし(苦笑)
本も確かに読み直す為に置いてあるだけではなく
所持している事に満足する為に所持している物があるし、
これはコレクターでなく更にこまめな人ならサクサク処分して
スッキリした部屋に住めるということなのねんw
本棚は家に一つだけで手放せない本が数冊収まっている。
コレが一般的な状態なんでしょうね。
いやいや、箪笥より本棚の方が容量必要な我が家が変なのは重々承知ですが (^^;