えーっと土曜の夕方から大きい組を残して私の実家に行ってきました。
この時期に行くのは予定外なわけですが (^-^;
人間長生きしたらイイコトとワルイコト、どちらをより多く味わう結果になるんでしょうね。
禍福は糾える縄の如し?因果応報?
客観的に見ていれば、幸せな人生と思える人も、
本人が小さなシアワセを不満に思い、
小さな不幸を嘆きまくりする人であれば
常に不幸ですからね。
常に不幸な人間は救われる事がないんじゃないですかね。
幸せに気付けない人は幸せになりようがないもん。
そして結果ホントの不幸が舞い込んでくるんだよ。
当人が呼び寄せてるとしか思えない。
コレが因果応報か?(苦笑)
なにか大変なことが起きた様子ですね。
大丈夫?
私は今思えば不幸だったのかも知れない幼少期だったけど、その不幸に気付かなかったという幸運は持ってましたっけ。
そういうのは幸運じゃなくて鈍感と言うのだろうけど(^^;
そして現在、幸せと見える暮らしをしている私達ですが、たまーに小さな不満を不幸に思ってしまいます。
幸も不幸も、その逆の下地が無いと感じないものなんだな。
どっちも持ってるのに、気付かないだけなんだよね。
あと、不幸でありたい人は自分の恵まれた部分は認めないことも多いよね。
ハッとさせられました。(痛い部分があるらしい(^^;)
大変ぽいけど私は大丈夫。アリガトウv
私の大変さは母が居ないから私が多少動かなきゃ…程度なので。
客観的に見れば不幸な事をそう感じずに過ごせるのは素敵な才能です。
常に鈍感なのではなく、辛い事、苦しい事に対して鈍感なのは
人間が持っている重要な能力の一つだと思う。
それが優れている人と劣っている人がいるんじゃないですかね?
royさんは優れてるんだよ。
そこそこシアワセなのが一番タチが悪いかもね。
人間は欲深いから(笑)
> 不幸でありたい人は自分の恵まれた部分は認めないことも多いよね。
認めないのか気付かないのか…(苦笑)
不幸な人は感謝出来ない人だと思う。
色んなモノから見放されていって当たり前。
何故毎日御飯が食べられる事に感謝出来ないんだろう。
御飯食べられない経験がなくても感謝出来るんじゃない?
逆の下地が必ずしも必要だとは思えないよ。