SHINO's SketchBook: コメント: 青春
コメント: 青春

息子いいなぁ。すげぇ~おもしろい。
直で話してみたいです。
でも、心理学をやっても、彼の疑問は解けないと思うなぁ。
倫理とか道徳とか常識とかは、心理学じゃないからねぇ。
でもいいわ。うん。
いわゆる、「理屈っぽい」タイプ?
それならアタシと同じだけど(笑)

投稿者 みょん : 2004年12月13日 20:02

Naoki氏に以下の言葉を:
「全世界は哲学する者たちにとって流謫の地である」
 十二世紀のスコラ哲学者サン・ヴィクトールのフーゴーの言葉です。私はこの言葉を知って、心の安息を得ることができました。以下のように続きます:
「祖国が甘美であると思う人はいまだ繊弱な人にすぎない。けれども、すべての地が祖国であると思う人はすでに力強い人である。がしかし、全世界が流謫の地であると思う人は完全な人である。第一の人は世界に愛を固定したのであり、第二の人は世界に愛を分散させたのであり、第三の人は世界への愛を消し去ったのである(『中世思想史原典集成』第9巻,104ページ)」

世の中に居心地の悪さを感じながらも、それに打ちひしがれずへこたれない覚悟があれば、学問をすればよいでしょう。きっと身のためになると思います。

投稿者 perce-neige : 2004年12月13日 21:49

> みょんちゃん
懇談会で毎回担任に「彼は独特の世界を持っていてそれが話していて面白いです。なくさないで欲しいです」って言われてます(笑)
彼自身の考えてる事は哲学の分野で、心理学は多分自分の心理を知りたいんじゃないですかねー?
自分の考えてる事が語彙不足もあって自分自身の中でまとめられないから知識を増やしたいみたいな感じでした。
私が話してみてそう感じただけですが。
理屈っぽいのかなぁ?
masatsu氏曰く「自分に理がないのに取り敢えず反論してるだけ」だそうですが(笑)

> perce-neigeさん
人間は皆哲学するワケじゃないんですか?
私はダメダメです。
未だ彼と同レベルなんですよ。
だから彼に有効な言葉を掛けてあげられない。
居心地が悪いのは解る。
でもそれは人間皆が思ってる事じゃないの?

何も考えていないように見える人でもきっと何か考えていて、それを考える能力が私には備わっていないんだ。
私の安息の呪文(笑)

投稿者 SHINO : 2004年12月14日 09:31

> 人間は皆哲学するワケじゃないんですか?
残念ながら、そうではないんです。疑問や様々のもどかしさに、すでに用意された最も簡単な答えでもって決着をつけたつもりになっている。そういう人は脱落です。なによりもまず疑問に思う気持ちがあって、それをなおざりにせず真摯に向き合おうとする姿勢が、哲学の一歩目であろうかと、そのように思います。二歩目に進める人は、ある種選ばれた人であるといえるでしょう。

> 居心地が悪いのは解る。
> でもそれは人間皆が思ってる事じゃないの?
そうです。「とかくに人の世は住みにくい」ですから。ですが、その住みにくい世に取り巻かれて、それでよしとしている人もいます。それではただ世界に投獄されているだけの、最も悪い生き方です。
 徒党を組んでそれを頼みに、苦境にある人に向かって石を投げつけるのがいます。少しでも居心地の悪い世界を変えられる可能性が与えられているのに、その可能性を行使することもなく、居心地の悪さばかりぼやく輩がいます。妄言妄想の王国におもねるあまり、真実に目を向けられなくなっているのがごまんといます。
 そういう連中は、果たして哲学をする主体であるといえるのか。私はいえないと思います。

私は、今年の騒動を見て聞いて、さすがにこの国はもう駄目だと思ったのです。「人でなしの国」になったと思ったのです。

とまあ、ちょっとシリアスっぽく書くとこんな感じです。当たり前に思うようなことを当たり前に思わず問いなおしてみる姿勢は、学問をするしないに関わらず大切なことであると思います。

投稿者 snowdrop : 2004年12月14日 21:07

適当なところで思考を止めよ、などと注意する私は哲学出来てませんね(笑)

住みにくい世の中、適当なところで折り合いをつけて楽しんでこその人生では?
妥協出来ないとしんどいですよね。
やっぱり私は親なので子供にはあまりしんどい思いして欲しくないんですけどね。

疑問に思うのはいい。それについて思考するのもいい。
でも無限後退していって苦しむだけじゃ切ないですよー。

今年の騒動云々については私も「ひとでなし」です。多分。

投稿者 SHINO : 2004年12月15日 08:39

> 妥協出来ないとしんどいですよね。
まあだから、学問やる人間の大半は、どこか破綻してたりおかしかったりするんですよ。

それと、誤解でなければよいのですが、学問する人間は苦しみたいからするんではないんですよ。あれはあれでものすごく楽しいものなのです。例えていえば、入稿を控えて三日目の徹夜、ペンを離すのは仕事に行ってる間だけ、というか自分なんでこんなことやってるんだろう、金にもならないし、むしろ赤字だ、もう来年はやめようと思っているのに、当日がすぎるとなぜか夏の構想を練っている。
 学問というものは、無限後退だとか足踏みだとか、そういうもんではありません。あれはあれで、楽しみがあるものなんですよ。楽しいも度をすぎれば心身に毒になるのは、ほかのものでも同じ、学問だけが特別ではないですよ。

投稿者 snowdrop : 2004年12月16日 01:00

いや、私も上手く文章書けてませんけど ^^;
学問が無限後退だとか、苦しむ為にしてるとかは思ってません。
うーんと、哲学を学ぶのと、哲学するのは別でしょ?
同じなの?この辺が解ってないのか、私は。
あと、実際思考が無限後退しててもその間も楽しいものだとは思ってます。
私は無限後退だと思うけれど、考えてる間は発展してるんでしょうし(笑)

要するに
> まあだから、学問やる人間の大半は、どこか破綻してたりおかしかったりするんですよ。
コレですよ。
あまり考えすぎて破綻して欲しくないなという(苦笑)

投稿者 SHINO : 2004年12月17日 12:08

> 哲学を学ぶのと、哲学するのは別でしょ?
哲学を学ぶとなると、哲学するとはちょっと違ってきますね。けれど、あるひとつのテーマをもって取り組むことは、その対象や手段がどんなであっても、結局哲学(実はこの表現は好きではないです)に向かっていくので、学びもいずれかは人生(あるいは世界)の本質にいたるはずなんです。
 重要なのは手段や結果もさることながら、いかに為すかという、その態度であると思っています。

> コレですよ。
コレですね。

投稿者 snowdrop : 2004年12月18日 00:54
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