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■スペックへのコンプレックス■

NEC PC-9821Xf 1994.12 購入

・買い替えの検討
1994 年秋、EX2 も購入から丸四年が経過し、私も社会人となり資金的余裕ができたので冬のボーナスでのパソコンの買い替えを検討し始めた。当時 EX2 の能力に大きな不満があったわけではない。ただ、やはりゲームにしろアプリケーションにしろ大容量化が進み、現状のハードディスク容量では厳しいものがあった。グラフィックの多いゲームなどは一つインストールしてそのゲームが終わるとアンインストールしてまた別のゲームを入れるという、やりくりをしていた。あとは FM-TOWNS や PC-98CanBe などで採用されはじめた CD-ROM ドライブも欲しかった。

・Mac には興味なし?
買い替えの対象は何の疑問もなく PC-98 だった。この時点では Macintosh にはまだそれほど興味がなかった。既存ソフトとの互換性で DOS/V マシンも眼中に無かった。入念な機種選定の末、選ばれたのは PC-9821As3。当時の NEC が 98Mate シリーズとして発売していたモデルだ。CPU はライトバック・エンハンスド i486DX2(66MHz)。この時、DX4(100MHz)搭載の PC-9821Ap3 も同時に発売されたが、知人の「DX4 は 50MHz を二倍にしてるだけなので、DX2 の 66MHz の方が基本性能は高い」という訳のわからん理論に従って As3 を選択した。もちろん As3 の方が安かったのも大きな理由だ。さらに購入価格を下げるため、とりあずハードディスクも CD-ROM もオプションのモデルを購入し、それらは安いサードパーティ製のものを組み込もうという計画を練っていた。

・どんでん返し
ボーナス支給日も迫った、11 月某日、周辺機器も含めた価格調査の為に日本橋の電気街へと出かけた。今回は価格重視で、パソコンショップでなく安売りの総合家電店での購入を考えていたので購入価格の叩き台を出す為だ。何店目かのショップで私はとあるチラシを発見した。それはインテルの新 CPU Pentium 60MHz を搭載した PC-9821Xf が 12 月に発売されるという内容だった。同年 7 月 PC-98 シリーズで初めて Pentium(90MHz)を搭載した PC-9821Xa が既に発売されていたが、価格が高く機種選定の対象外となっていた。しかし Xf なら手が届く。ほぼ As3 購入で固まっていた私の心は揺らいだ。この X-Mate シリーズには Pentium だけでなく PCI バススロットが搭載されているのも特徴だった。今では当たり前の PCI バスも Xa で初めて搭載された。PCI バスは速度だけでなく、DOS/V や Mac でも使える共通仕様だ。結局私は Xf を選択した。PCM 音源のみで FM 音源が無いのが難点だったが、Pentium と PCI バス搭載ならこの先数年経っても使い続けられるだろう、という将来性を見込んでの選択だった。この選択は我ながら良い選択だ、と思っていた、この時点では。As3 のときはハードディスクも CD-ROM もオプションのモデルを買おうとしていたが、何故か Xf は両方搭載された 498,000 円のモデルを購入した。最終的な購入価格ははっきり覚えていないが、17 インチディスプレイ、3.5 インチ FD ドライブ、モデムなどを含めて 490,000 円くらいだったと思う。

・増設機器
Xf で増設したのはまず購入時に 3.5 インチ FD ドライブ。この頃は既にデスクトップマシンの FD ドライブが 1 ドライブになっていた。ゲーム用途の場合、2 ドライブ必須の場合もまだあったので購入時から増設を決めていた。あとはメモリ。これは購入後しばらくしてから購入したが、標準 8MB に 16MB を加えて 24MB とした。このメモリ、おそらく 今までに私が買ったメモリの中で 1MB 当たりの単価が一番高いメモリだったと思われれる。

・使用用途の変化
この Xf には MS-Windows3.1 がプリインストールされていた。しかし、手持ちのソフトは DOS 版がほとんどで Windows も DOS シェルと大差ない使い方だった。Win 用アプリといえばゲームか通信ソフト(秀term)くらいだった。Xf 購入と当時に Nifty-Serve に加入しパソコン通信を始めた。ゲーム系のフォーラムに出入りし、会議室で発言し、RT に参加し、ヴァンパイアハンターの対戦のためだけに東京のオフに参加し、公式オフにも参加した。パソコンの使用用途がゲームから通信に移ってきた。しかし結局 Xf ではモデムが 14.4Kbps だったせいもありインターネットには接続しなかった。

・Mac への憧れと PC-98 の終焉
使用用途のうちゲームへの比重が減るにつれ、OS プラットフォームへのこだわりがなくなり Macintosh に憧れるようになってきた。MS-Windows3.1 上でも起動画面を変えたり、TMMac というソフトで画面を Mac 風にして使っていた。世間的にも Windows95 の発売後 DOS/V マシンが圧倒的に増え NEC も 実質上 DOS/V 互換機の PC98NX シリーズを発表し、個人ユーザ向けの PC-98 シリーズの販売は終焉を迎えた。

・その後の Xf
Windows95 は発売されて程なく導入。ただしハードウェア的には少々厳しいものがあった。世間のパソコンはスペックがどんどん上がり、Xf はかなり見劣りする構成となっていた。アーキテクチャを改良した 75MHz と 100MHz の二世代目 Pentium がすぐに登場し、Pentium 60MHz など化石同然となってしまった。将来性を見込んでの Xf 購入だったが思惑とは少し外れた形だ。まあパソコンの世界ではやむを得ない事であるが。実際 Windows95 発売以降の新製品のサイクルの早さとスペックの向上は目まぐるしいものであった。前述の通り使用用途はほとんど通信のみとなる。自動巡回とか一切行わず、8 時間近く連続で RT したこともあるので一番通信費を使ったのはこの頃ではないだろうか。96 年秋に PowerMacintsh7500/100 を購入。これを見越していたかのように、入力が二系統あるディスプレイを購入していたので、Xf と PM7500 を縦積みし、一台のモニタに二台のパソコンをつないで使用していた。PM7500 用に 28.8Kbps のモデムを買うと、通信機能も全て PM7500 へ移し Xf は起動されることが少なくなった。Mac 用に 17 インチディスプレイを購入するとディスプレイが一台余ったので、Xf は両親が使う事になる。2000 年に両親が Gateway のパソコンを買うまで使用されていた。

Pentium と PCI バス搭載で当時としては先進スペックを誇った Xf も、パソコンスペックの劇的進化の波には逆らえなかった。私は購入直後から常にスペックに対するコンプレックスを抱いていたような気がする。このマシン、今回の執筆用に実家で起動確認したらちゃんと動作した。ハードディスクの容量が 540MB しかないのに、変なパーティションの切り方をしたせいで起動ドライブの空き容量が 10MB を切っていたが。あとハードディスクの第一ドライブが A: なのと Windows95 を終了してもパソコン自体の電源が切れないのが何とも懐かしく思えた。